2017年8月

8月の読書メーター
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ハイドハイド
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読書メーター

共産主義とキリスト教

書店の新刊棚で見かけてから随分長い間、図書館の順番が回ってくるのを待っていました。街の本屋の存続を叫ぶ割に、簡単には買わない派です。

なぜローマ法王は世界を動かせるのか インテリジェンス大国 バチカンの政治力 (PHP新書)

大好き、このエガオ。

本書は帯の勝利だったのだと思います。勝利したのかは知りませんが。

 

徳安茂『なぜローマ法王は世界を動かせるのか インテリジェンス大国バチカンの政治力』
PHP新書(1083)
ISBN:9784569832685

 

読んでいたら、数年前まで非常に興味があったテーマが章題になっていました。

 

共産主義キリスト教は同じ」!

 

刺激の強いタイトルです。「宗教はアヘンである」という言葉を知っている多くの人は、はあ?となるかもしれません。

しかし、このタイトルを見て私が思い出したのは、私自身が同じことを考えていた時期があった(今でもそう思っている)ということでした。

 

私の読書メーターを見ると、2015年は『資本論』関連の書籍をいくつか読んでいます。

……読んでおきながら、結局マルクスは未だ完読していないし、池上・佐藤両氏にご教示いただいたはずのことを何一つ覚えていないのが、私の読書のよくないところなのですが。

とにかくこの頃は、共産主義キリスト教を結びつけて考えていました。 

根拠はほとんど使徒言行録の以下の箇所だけだったと言ってもいいかもしれません。

信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。

使徒言行録2:44-45

信じた人々の群れは心も想いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。

使徒言行録4:32-35

(言ってることおんなじじゃねーか!と思われるかもしれませんが、聖書はいつもこんな感じです。)

共産主義っぽいでしょう?財の共有という形で平等を実現しようとしています。共産主義の基本理念です。

これはまだ「キリスト者」「クリスチャン」という呼称もなかった頃の、イエス信奉者による原始的な共同体です。*1*2エスの直弟子である使徒たちが中心になって説教をしています。巨大な教会に成長したキリスト教では、一般信徒が文字どおりにこのような暮らしをすることはできないので、これは「理想的な状態」という風に言い表されます。

しかし共産主義の方でも、本当にこんなことができたら「理想的」ではありますが、実際に国家ぐるみでこれをやろうとしても失敗するというのは歴史が語っています。

 

問題は、共産主義的な共同体に属するのが人間である、というところにあるのだと私は思います。キリスト教的に言えば、原罪を背負った人間なのです。「罪への傾き」という便利な言い換えがありますが、実際、望んだわけでもないのにずるずると滑り落ちるように低きに流れてしまう。共産主義の失敗の要因とされる労働意欲の低下だって、党中枢の権力の肥大化だって、人間だから仕方がないと言ってしまえば仕方がない。

何かをサボった経験がある人は分かると思いますが、「サボろう」という決断はなかなか気持ちの良いものにはなりません。文学的に「悪魔の囁き」とも呼ばれる、自分を低きに流そうとする力が常に働いていて、人はそれに対抗しきれずサボるのです。よくないことは分かっていて、本当はサボりたくないというのは胸の奥の罪悪感が語っているのですが、心の表面の方では、サボって楽になりたいという気持ちがある。

「原罪」はすべての人間にとってそこから逃れ得ない先天的な性質ですが、アダムとイブに遡って人間存在として見ると、後天的です。創造された人間は「神の似姿」であって、そこに罪はありませんでした。「悪魔の囁き」と同様に「原罪」もまた、人間のどうしようもなさを第三者的に扱い、人間の本質から区別するための概念なのだと思います。

話を戻します。これが人工知能ロボットだけの世界だったら、全てはうまくいくのだと思います。おのおのの仕事をして、成果は等しく分配する。誰もが必要なものを得て、ロボットは幸せに暮らしていくでしょう。

共産主義にはつきものの共産党主義だって、ロボットなら必要ありません。民主的手続きを踏んで一度共産主義が実現すれば、誰もが喜んで己の役割に務めるわけですから。不足を発見した者がそれを共有するための相談窓口は必要でしょうが、それが権力である必要はありません。ただの労働者です。でも人間ではそうはいかないのです。

 

2年前の私はこの辺りまで考えてから、話が抽象的すぎるな、とりあえずマルクスを読んで共産主義を知らないと始まらんなと思い、池上先生のもとに馳せ参じたわけですが、残念ながら今も同じ場所で停滞しています。

 今の今までそのこと自体忘れていたので、思い出せてよかったです。やっぱりマルクスを読もう、読み流さずノートをとって頭に入れよう……と何十回目の反省をしております。

 

 

ちなみに、きっかけとなった『なぜローマ法王は世界を動かせるのか』ではキリスト教共産主義についてどう語られているかというと、「バチカン関係者がそう言った。さすがバチカンは発想がオープンだなあと思った」という内容が、章末に8行。

起承転結の結にしか「共産主義」が出てこない、期待を煽ったわりに(期待したのは私だけかもしれないが)いささかガックリな章でした。

 

 

 

 共産主義キリスト教というテーマでは、佐藤優さんがそれに近い新書を出していましたね。随分前に新刊コーナーで見かけて、おお、と思ったのも忘れていました。

 

キリスト教神学で読みとく共産主義 (光文社新書)

キリスト教神学で読みとく共産主義 (光文社新書)

 

 

彼は״楽天的で怠惰な״カトリックをやや見下している感があるのと、カルヴァン派プロテスタントを同一視しているようなところが苦手で、佐藤さんの神学に関する文章は敬遠しつつあったのですが、久しぶりに読んでみようかと思います。きっと難しいんだろうなあ。ひょっとすると最近読みやすい小説ばかり読むようになったのは佐藤さん離れが原因で、柔らかいものしか食べずにいたら柔らかいものしか食べられなくなったような状態なのかもしれません。

 

 

*1:どうでもいいですが、人を指して「クリスチャンです」と言うのはプロテスタントの方が多いイメージがあります。カトリック信徒の多くは「カトリックです」と言いますね。形容詞としてのカトリック。おカタめの「キリスト者」は、意外と幅広く耳にします。

*2:どうでもいいついでに、本書中で「カトリック教徒」という言葉が使われるのを見てはっとしました。これまで意識してきませんでしたが、もしかしてこれは一般的な呼び方ですか?「カトリック教」がないのに「カトリック教徒」はアリだとしたら、ちょっとヘンですよね。

始めたてのドイツ語がたのしい

今年の四月から大学でドイツ語を履修しています。あのイカつい字面と子音の響きが大好きで高校生の頃から憧れていたので、やっとという感じです。

第二外国語を決めた頃には「ネイティブの発音だから美しいのであって、自分が辿々しく真似たところで理想から遠すぎて不快。それに万が一難しすぎて嫌いになるようなことがあったら、二外に選んだ自分が許せなくなる」なんて理屈っぽく言っていたくせに、結局我慢できませんでした。


How German Sounds Compared To Other Languages || CopyCatChannel

↑私の周りでも話題になりました。ステレオタイプと悪意(だがきっと愛も)ある誇張に満ちています。が、やっぱり、好き。(ごめん)

 

昨年日本で上映された映画「帰って来たヒトラーも、映画自体が面白いのが半分、ヒトラー風の語気激しい演説含め魅力的なドイツ語をたくさん聴けるのが半分、とにかくいたく気に入ってしまい、授業終わりにダッシュして四週連続くらい観に行ってました。

 

帰ってきたヒトラー(字幕版)

先日、須賀しのぶの『また、桜の国で』を読み、ナチズムに(プチ学問的)興味を注いだあの頃を思い出し……

そういえばこの頃アレ読んでないな、と『帰ってきたヒトラー』の文庫本を読み直し始めたところです。

そこで生後三ヶ月のドイツ語知識が役に立ち、ふふっと笑えたことに衝撃を受けたので共有します。

「まあ。でも、ハンディ(携帯)はどうしました?」
「知るものか?ヘンディのことなど!そのヘンディとやらも職業訓練の場を解雇されて、裁判沙汰を起こしているにちがいないぞ!」
帰ってきたヒトラー 上』p.105

習いたてホヤホヤの語彙、Handy!! 先生曰く「エセ外来語」

ほとんど規則通りで発音と綴りが一致するドイツ語ですが、携帯電話を意味するこの語は違います。

発音は実質"händy"で、aはアの混じったエの音です。

和訳では「ハンディ」となっていますが、受付嬢は発音上「ヘンディは?」と尋ねたんですね。それで携帯電話を知らないヒトラー「ヘンディって誰だよ」となるのも無理ありません。

 

こういう言語に依存するユーモアは翻訳が難しいですよね。

単行本にはありませんが、文庫版には文中のヒトラーネタの解説が原注として載っています。(ジョークを言った本人から丁寧な解説を受ける申し訳なさがあります)

でも訳注はないのです。カッコで補足したから察してね、という感じ。

ヒトラーが直前に観ていたTV番組のつまらさにイライラしていたおかげで、どうやらこの「ヘンディ」は人名らしいぞ、と我々日本人も確信を持てるわけで、ありがたい限りです。

そういえば映画版ではこういうネタを観た覚えがない。観た当時の自分としてはありがたかったのでしょうが、今は少し残念です。

帰ってきたヒトラー』 は原作・映画ともに本当に優れた作品なので、今度もっと何か書きたいです。いつか原語で読んでみたいなあ。夢のまた夢、トラウム・フォン・トロイメ……

 

 

ところで今、スマホはドイツ語でなんと言うのか疑問に思って調べたら、

f:id:tim153:20170709213828j:image

Smartphoneでした。

telephoneはTelefonなのに!!

ひょっとしたらこれ、日本人がスマホスマホと言うほどには日常的な単語ではないのかしら。それこそ、私たちが「スマートフォン」と略さずに言う時のような、携帯端末のある一形態を指す言葉なのかもしれません。

今度先生に聞いてみます。

 

 

ちなみに、明日がドイツ語の試験なので現実逃避にはてなブログを開設しました。どうぞよしなに。

フォントロイメは当然デタラメです。